4287のよろっと自転車日本一周旅

よろっと旅にでようや

226日目 開聞、知覧茶、特攻隊

 12月1日、ついに12月に突入してしまった。今のところ寒いとは感じない。地理的要因もあるだろうが、暖冬ということも関係しているかもしれない。

 朝早く起きた。寝苦しかったからだ。なんと朝7時時点でテント内の温度は20度近くまで上がっていた。そりゃ寝袋に入ってれば暑いわけだ。

 テントのファスナーを開けると感動の景色が広がる。目の前には海、その向こうには朝日の逆光線でシルエットになった開聞岳。朝からすごいものを見せられた。この時点で鹿児島に魅せられていた。必ずまた来たいと思うキャンプ場だった。

 荷物を撤収し枕崎の街を走る。今日は内陸に入って知覧へと向かう。内陸に入るということは海抜が上がるということで、海抜が上がるということは登らなければいけないということ。まぁそんな大した登りではないのだが。

 嬉しいことにここらは台地になっているようで登った後はほとんど平と言ってもいいくらいだった。また、その台地から見る開聞岳も良かった。12月に入ったとは思えない日差しの中にそびえる開聞岳。薩摩富士の異名は伊達じゃない。標高は1000mもないのだが周りに山がないのでもっと大きく、堂々と見える。

 南九州市に入ってからは茶畑が広がった。それもそのはず、知覧に代表されるお茶の名産地であり市町村単位での緑茶生産量日本一位である。

 茶畑の中を県道がまっすぐ貫いていて、その中を走るのはとても気持ちよかった。右も左も緑色の原っぱのようで空も広い。さらに茶畑にいくつも立っている扇風機がくるくる回るのを眺めているとなんとなく楽しくなってくる。終始顔が緩んで仕方ない。ペダルを踏む力も緩み気づけばゆっくりゆっくり進んでいた。

 そして知覧に到着。早速特攻記念館へ。2日連続の特攻記念館だ。

 特攻隊員が遺した手紙や手記を読んでいるとあっという間に時間が過ぎていった。特に印象深い書は国元に残る継母に宛てた一通の手紙だった。その手紙には結局一度も継母のことを母と呼べなかった後悔が綴られていた。
 どの文も、お国のために死んでくる、だから心配しないでほしい。兄弟達よ、あとは頼んだ。天皇陛下万歳、と書かれていた。ほとんど僕らと同世代、もしくはもっと年下の青年達が書いたとは思えない達観した文の数々だった。本音のところは今では分からない。が、当時の今から考えると異常とも言える価値観、倫理観を垣間見ることができた。今の僕達はそれらを学び、反省し、どう活かすかが大切だ。彼らから学ぶこと、見習うことは沢山ある。国を憂い、大切な人のために命を捧げる。今なお大事にすべき考えが確かに詰まっている、そう感じる記念館だった。



 知覧をあとにし薩摩半島を横断。鹿児島市へ入る。市街地に入った途端轟音が鳴り響いた。

 慌てて辺りを見回すと桜島が噴火していた。え、これやばいやつやん!と思ったけど周りは普段通り。これが日常なのだ。鹿児島の凄みを思わぬところで見た気がする。

 その後は前にも登場した超絶変態頭おか徒歩ダー、ヨコイシと合流し、彼が以前お世話になった方のお家にお邪魔させていただく。

 美味しいご飯にあたたかい布団。これが当たり前じゃない、幸せなことだといつも以上に感じた1日だった。

走行距離 60キロ
火の神公園→鹿児島市

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