4287のよろっと自転車日本一周旅

よろっと旅にでようや

237日目 最南端の海

 12月11日、12月とは思えぬ暖かさで目が覚める。僕はいま本土の南の端にいると思うと不思議な感覚だ。

 起きてしばらく海を眺めつつボーッとしているともう少しここでゆっくりしたい気持ちが勝った。もう旅も終盤。こんな風に空の下でゆっくりする機会もそう多くないだろう。

 そうと決めたらだらだらタイム。テントの中で読書。旅中にもブックオフに寄って買った本が溜まっているのだ。この日読んだのは三島由紀夫金閣寺。やっぱり難しい。

 手持ちの食料が残り少ないので、というかカップ麺一つしか無いので、昼飯は隣のホテルへ。昨日の夜はひどい仕打ちを受けたホテルだが、今日はすんなりと入ることが出来た。

 注文したのは地魚の刺身丼。申し訳ないが魚の名前は忘れた。しかしとにかく美味かった。無茶振り大盛りオーダーにも応えていただいて感謝です。

これで千円もいかなかった。

 食後は浜辺を散策。ゆっくり下を向きながら歩いてみると浜辺にはいろいろなものが落ちている。


ハリセンボンのミイラ。カッコいい、が臭い。

中国の議員さんの名前入りライター。SNSに載せたら速攻特定して、この議員さんの写真をくれたバカな友達がいました。

中国の歯磨き粉?もしくは口内炎の薬?口腔問題!頼りになる表記だなぁ。

 わが故郷、新潟には韓国の漁具やゴミ、さらには北朝鮮の不審船等が流れ着くが、ここでは中国のゴミが多かった。ところ変わればなんとやらをこんな所で実感するとは思いもよらなかった。

 そんな贅沢な散歩をしていると夕方に。昨日は泣く泣く引き返さざるを得なかった玄関を抜けてホテルの大浴場へ。温泉では無いようだが、真っ暗な海を眺めつつ、大きな風呂を独り占め出来たので良し。

 ホテルからテントに戻る時にふと見上げると丸い月が海から浮かんでいた。ほとんど街の明かりが無い中で見る月は幻想的で、ずっと見ていると引き込まれそうだった。海に伸びる光の道は、月への一本道に見え、かぐや姫の話を思い出した。

 昔は今よりも人工的な光が少なかったので、月明かりや星の明かり、日の出の光がもっと身近にあったのだろう。そしてそれらの光を大切に、敬い、畏れていたから様々な神話や信仰が世界中で生まれたのだろう。

 そんなことを感じた佐多岬での夜だった。

 夕飯に食べようと思っていたカップ焼きそばが、湯切りに失敗してブチまけて台無しにならなければ最高だったのに、、、、。

236日目 最南端

12月10日、鹿児島市内の公園にて起床。なぜかあまり眠れず、起きてはウトウト、起きてはウトウトを繰り返す。

夜中に桜島も噴火し驚いた。轟音とそれに続いて地面が震えた。昼も夜も地球には関係ない。当たり前のことだけど改めて感じた。

起きてから向かうのはフェリー乗り場だ。鹿児島市がある薩摩半島から、佐多岬がある大隅半島まで渡るには三つの選択肢がある。

一、桜島フェリー桜島へ渡る。
二、垂水フェリーで垂水へ渡る。
三、指宿から根占へ渡る。

本当は三の指宿からのフェリーに乗りたかったが船の故障の影響で車が載せられないそうなので、二の垂水フェリーで渡ることにした。

 数キロ走ってフェリー乗り場へ。僕には珍しく出航の数十分前には到着した。コンビニで朝飯を買い、ベンチで悠々と舌鼓を打っていると汽笛を鳴らして船が出ていくではないか。慌てて時刻表を確認する、が、この時間に船は出ないはず。係員に時刻表を確認すると衝撃の一言、「あー、今はこの時刻表じゃないよ。次は1時間後だね」

オイオイ、更新しといてくれや、、、。

 早速1時間のタイムロスだが、何とか船に乗って隣の大隅半島に上陸。ここからはひたすら南下し、最南端を目指す。鹿児島のイメージに違わぬ荒々しい道たち。しかし眺めは抜群だ。日差しは降り注ぎ、海は青い。左手には海岸まで迫り出してくる迫力満点の山々。やっぱり鹿児島好きだなぁ。

 そして佐多岬の16キロ手前にある最後の補給地点に到着。ここから先コンビニはおろか、食材を入手できる場所は無いらしい。ちょっと多目に買って最後のアタックをかける。でもホテルがあって風呂はあるらしい。佐多岬に行ったあとの風呂は格別だろう。楽しみだ。

 意気込んで出発したはいいが、早速有り得ないほどの悪路を進む。マップで楽な道を探した結果である。

 道は落石し放題、横の藪からは時折ガザガサと何かが動く音、、、。正直坂のキツさは忘れて早く抜けたい一心だった。急がば回れ、昔の人は良いこと言うなぁ。

 ここを抜けたら一旦下り、集落へ。ホテルやキャンプ場などがあり、今日のキャンプ地になる。

 この時点で日没まであと僅か。この辺りは夜になると真っ暗になる、電灯?そんなものは無い。少し迷ったがここまで来たならと意を決して飛び出す。

 いままで見たこともないほどの激坂を越え、緩やかだが長い坂を越え、猿の影に怯えてついにその場所へ。

 ついに日本の本土四極完全制覇である。一番最初に行った最北端、宗谷岬から約半年。これで日本の端から端まで走ることができた。残す目標は帰るだけ。なんだか少し寂しい気分だが、よろっと帰ろうと思う。

 とりあえず日没ギリギリの中を必死で駆け抜けキャンプ場へ。12月なのに蚊に悩まされつつもテントを建てて、最南端攻略でかいた汗を流そうと隣のホテルにある大浴場へ。これが無かったらここまで頑張れなかったなぁ、やっぱり風呂は偉大だな、なんてことを考えつつホテルの入り口に回ると。

 フリとオチが完璧。

227〜235日目 しろくまの死闘、そして沈没へ

 12月2日は鹿児島市内で起床。久々に朝ゆっくり起きて、よーだいと朝ごはんを頂き街へと繰り出す。

 鹿児島市は始めて来たが好きな街になった。天文館のアーケード街もどこか懐かしい感じがするし、路面電車がまたたまらない。そして海も近いので港町の風情もある。なにより街のどこからでも雄大桜島の勇姿が見えるのが最高だ。

 やっぱり鹿児島に来たからには"ヤツ"と一戦交え無ければならない。そう、白い悪魔、「しろくま」である。

これでレギュラーサイズ、大盛りにしなくて本当に良かった、、、。

 今では日本全国のコンビニでお買い求められるしろくまだが、発祥は鹿児島天文館の無邪気というお店からだ。日焼けした小汚いマウンテンパーカー二人組で入るには少し勇気がいるお洒落な店内。辺りを見渡せば一つのしろくまを分け合うカップルや旅行で来たと思しき女子グループ。そんなドアウェーの中、僕とよーだいは静かに早食いのゴングを鳴らした。

 結果は僕の圧勝。毎日エゲツない距離を歩けても、四国で生き仏と呼ばれようとも、しろくまを早く食えない奴は弱いのだ。

苦悶の表情を浮かべるヨコイシ。

 その後は昼飯につけ麺を食べ、二人とも丸くなった腹をさすりながら家路につく。

 横石はこの後沖縄へフェリーに乗って向かう。その前に鹿児島でお世話になっている森さんが髭を剃ってくれるそうだ。森さんは美容師さんなのだ。

 二人とも入念に顔中の毛という毛全てを整えてもらい、オイルでテカテカツルツルになった。

 そして別れの時。フェリーターミナルにて横石を見送る。次に会うのはお互い東京へ戻った時だろう。今まで何度となく出会いと別れを繰り返して来た二人だ、もう慣れたもので軽い別れの挨拶を交わしただけだ。その根っこには絶対また会える信頼があり、どこかで日本を小さい箱庭の様に思いはじめた自分もいた。

 出航し、だんだんと小さくなっていくフェリーを見送り、僕は一人で森さんの家へ帰る。

 翌、3日からは祖父の知り合いの方に会ってご飯をご馳走になったり、西郷隆盛最期の地を見たり、山へ登って鹿児島市の夜景を見たり、天文館の居酒屋で一人首折れサバに唸ったり、市街地なのにとても立派な温泉に浸かったりと鹿児島市内を満喫した。というかしすぎた。その間に北海道から共に旅を続けてきた時計が盗まれたり、自転車のタイヤを交換したら空気が入らないなどトラブルもあったが、まぁ何とかなった。

 翌10日からは本土四極の最後、最南端の佐多岬へ向かう。今まで会った旅人からは一番しんどいと聞かされていたし、マップを見た限りは一番の秘境だ。僻地でトラブル起こしがちな僕だが無事に辿り着く事が出来るのだろうか。

首折れサバ。沖合で首を折って〆ることからこの名前に。サバとは思えない油と旨味、むしろこっちがサバ本来のポテンシャルか。

鹿児島の甘い味噌味のおでん。これがなめらかでつゆを全部飲み干してしまうくらいうまい。

鹿児島市の夜景。

毎日コイツが見える生活ってどんなだろう。灰が大変そうだが。

226日目 開聞、知覧茶、特攻隊

 12月1日、ついに12月に突入してしまった。今のところ寒いとは感じない。地理的要因もあるだろうが、暖冬ということも関係しているかもしれない。

 朝早く起きた。寝苦しかったからだ。なんと朝7時時点でテント内の温度は20度近くまで上がっていた。そりゃ寝袋に入ってれば暑いわけだ。

 テントのファスナーを開けると感動の景色が広がる。目の前には海、その向こうには朝日の逆光線でシルエットになった開聞岳。朝からすごいものを見せられた。この時点で鹿児島に魅せられていた。必ずまた来たいと思うキャンプ場だった。

 荷物を撤収し枕崎の街を走る。今日は内陸に入って知覧へと向かう。内陸に入るということは海抜が上がるということで、海抜が上がるということは登らなければいけないということ。まぁそんな大した登りではないのだが。

 嬉しいことにここらは台地になっているようで登った後はほとんど平と言ってもいいくらいだった。また、その台地から見る開聞岳も良かった。12月に入ったとは思えない日差しの中にそびえる開聞岳。薩摩富士の異名は伊達じゃない。標高は1000mもないのだが周りに山がないのでもっと大きく、堂々と見える。

 南九州市に入ってからは茶畑が広がった。それもそのはず、知覧に代表されるお茶の名産地であり市町村単位での緑茶生産量日本一位である。

 茶畑の中を県道がまっすぐ貫いていて、その中を走るのはとても気持ちよかった。右も左も緑色の原っぱのようで空も広い。さらに茶畑にいくつも立っている扇風機がくるくる回るのを眺めているとなんとなく楽しくなってくる。終始顔が緩んで仕方ない。ペダルを踏む力も緩み気づけばゆっくりゆっくり進んでいた。

 そして知覧に到着。早速特攻記念館へ。2日連続の特攻記念館だ。

 特攻隊員が遺した手紙や手記を読んでいるとあっという間に時間が過ぎていった。特に印象深い書は国元に残る継母に宛てた一通の手紙だった。その手紙には結局一度も継母のことを母と呼べなかった後悔が綴られていた。
 どの文も、お国のために死んでくる、だから心配しないでほしい。兄弟達よ、あとは頼んだ。天皇陛下万歳、と書かれていた。ほとんど僕らと同世代、もしくはもっと年下の青年達が書いたとは思えない達観した文の数々だった。本音のところは今では分からない。が、当時の今から考えると異常とも言える価値観、倫理観を垣間見ることができた。今の僕達はそれらを学び、反省し、どう活かすかが大切だ。彼らから学ぶこと、見習うことは沢山ある。国を憂い、大切な人のために命を捧げる。今なお大事にすべき考えが確かに詰まっている、そう感じる記念館だった。



 知覧をあとにし薩摩半島を横断。鹿児島市へ入る。市街地に入った途端轟音が鳴り響いた。

 慌てて辺りを見回すと桜島が噴火していた。え、これやばいやつやん!と思ったけど周りは普段通り。これが日常なのだ。鹿児島の凄みを思わぬところで見た気がする。

 その後は前にも登場した超絶変態頭おか徒歩ダー、ヨコイシと合流し、彼が以前お世話になった方のお家にお邪魔させていただく。

 美味しいご飯にあたたかい布団。これが当たり前じゃない、幸せなことだといつも以上に感じた1日だった。

走行距離 60キロ
火の神公園→鹿児島市

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225日目 万世にて特攻隊員を想う

11月30日、道の駅きんぽう内の寂れた休憩所にて起床。昨夜の夜はだいぶ冷え込んだが、屋内だったためむしろ寝苦しいほどだった。身体が外気温に慣れてきたのだろうか。

誰も来ないことをいいことにしばらく二度寝。10時ごろにむくりと起きだして道の駅を散策する。

散策しきって満足したら走り出す。といっても10キロも行かないうちにストップ。万世特攻平和記念館の標識が見えたからだ。迷わずハンドルをそちらにきる。


閑静な住宅街の中に万世特攻平和記念館はあった。入ってすぐに出迎えるのは零式水上偵察機。現存する唯一の機体らしい。

そして二階には特攻隊員達の遺書や遺品、血書が展示されている。特攻で亡くなった隊員の多くは十代、ないしは二十代前半、すなわち僕らと同じくらいの歳だった。

僕の貧相な語彙力では語れない、凄まじい経験だった。全てを見終わった後どっと疲れを感じた。それほど全力で向かい合っていた。休日の昼間だったが観光客の姿は少なく、ゆっくりと丁寧に見ることができた。特攻基地と言えば知覧が有名だが、こちらも来なければならない遺産であると感じた。

その後は山道を越えて薩摩半島の南にある枕崎市に到着。漕いでいる間も万世で感じたことが頭をぐるぐる回り、まとまらない考えがいくつも浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返していた。

本日の宿泊地は枕崎市にある火の神公園という無料キャンプ場である。着いた瞬間その絶景に驚いた。

薩摩富士の異名をもつ開聞岳が目の前にそびえ、青い海がどこまでも広がっていた。夕日の光を浴びてそれら全てが輝いて見えた。

となりにテントを張った方が偶然にもバイクで日本一周している人だったので宴が始まる。へべれけになりつつもまだもやついたものが頭にあった。明日の知覧でも色々感じられたらいいなと思いつつ、酒に酔っ払って泥のように眠った。遅起きしたはずなのに。

走行距離 50キロ

道の駅きんぽう→火の神公園

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224日目 思えば遠くへ来たもんだ

11月29日、公園にて起床。のそのそテントから這い出ると体を動かしている地元の方と目が合う。

その人や後から来た人と歓談しているとあっという間に時間が経つ。それにしても鹿児島に入ったらいきなり話しかけてくる人が多くなった。県民性とかもあるのだろうか。

阿久根市街を抜け、海沿いに走る。ここいらの海はとても青い。ずっと見ていると目が痛くなってくるほどだ。日差しもポカポカ暖かく、ヤシの木らしきものが植えられている道を見ていると、あぁ南国に来たんだなと感じる。

♪思えば遠くへ来たもんだ〜、♪故郷離れて224日目〜と歌って走っているとあっという間に薩摩川内、いちき串木野、日置と街を通過していく。

そこいらから内陸に道が入る。ちょくちょくエゲツない斜度の坂も現れるがチェストーー!と叫んで越えれば問題ない。世間体としては問題あるかもしれないが。

内陸に入って多少平らな場所があると牧場がちらほら見えてくる。牛や豚が満載されたトラックも何度か見た。

そのうち匂いで牧場があるか分かってくる。そう、うんこ臭いのだ。堆肥なのか牛糞なのか彼らの体臭なのか分からないがとにかくうんこ臭い。糞臭い。なんとなく北海道を思い出した。北海道ではよくこの臭いを嗅いだ。まさか俺の身体から発してるってことは無いだろう。無いよな。

そして南さつま市に入りいくつか小高い丘を越えて目的地である道の駅きんぽうに到着。到着したタイミングが絶妙でとびっきりのご褒美になった。

スマホだとこれが限界。こんなもんじゃなかった。

幸いにも24時間空いている休憩所があったのでそこの中で寝ることにする。というか中に葉っぱが散乱し、椅子も机も好き勝手な方向を向いている荒れ果てた休憩所だった。それでも屋根も壁もあるどんな三つ星ホテルにも負けない宿になることだろう。

走行距離80キロ

阿久根総合運動→道の駅きんぽう

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223日目 別れは出会い

11月28日、天草のネットカフェで起床。お寝坊さんの僕をよーだいが起こしてくれた。なのにチェックアウトは僕の方が先。

外は雨が上がったばかりでとても寒かった。決めた、手袋を買おう。そしてこの時間(朝8時)に開いている、手袋が売っているところと言えばそう!最近ヨツヤナが絶大なる信頼を寄せているあそこ!ワークマンだ!!

♪広がる〜未来に〜夢が溢れて〜る〜(吉幾三

とりあえず足軽みたいなよーだいを置いて、騎馬武者の僕はワークマンへひとっ走り。手袋とロンスパを買って出たらタイミングよくよーだいと合流する。

たった2日だったけどあんたから元気もらったよ!流石よーだい!いっつも太陽みたいなやつだ。またどこかで会おう!!

その後はのどかな山間の道をひた走る。こんな時期になんだけど秋の訪れを感じる道だった。

ダム湖があったり、田んぼがあったり、色づいた木々あったりバリエーション豊かだ。やっぱり自転車旅はこういう道を走ってなんぼだ。なんとなく自然と一体になって走れる気がする。

お昼頃には天草の端、牛深港へ到着。ここから30分の船旅を経て鹿児島県に突入する。

鹿児島側の蔵の元港はまるで海賊のアジトのような味わいだった。よーだいにそのことを伝えたらあいつは、「そんな汚いの?」とのたまいやがった。失礼なやつだ。写真を見れば僕が言わんとしていることは分かるだろう。

と思ったけど写真撮り損ねていたので割愛。

蔵の元港がある長島町はエゲツない坂が連続する道だ。ただ、景色が明確に変化したことを感じられて楽しい。


ちょっと傾き始めた日の光を受けて段々畑は輝き、野焼きの煙がそれに幻想感を加える。大きい建物や鉄筋コンクリート造りの建物が少ないので戦国時代のようだなと思った。

ただ、綺麗なだけで終わらせないのが長島。長島町と九州本土の阿久根市を結ぶ黒瀬戸大橋に着いた時に愕然とした。

歩道の道幅が恐ろしく狭い。ハンドルはギリギリ入るが、後ろの荷物がガリガリ当たる。ひたすら横歩きで自転車を押す羽目になった。しかもこの橋の上では暴風が吹き荒れ、その度にバランスが崩れ、ヒヤッとする。一度車道側に倒れ込み、自転車は手すりで止まったものの僕の頭スレスレを車が通ってゾッとした。

この橋の上から見た景色も恐ろしいものだった。が、恐ろしくも美しい。

この後は阿久根市の公園まで走り、コインランドリーで洗濯を済ませて終了。ふと考えてみると10日以上洗濯をしてなかった。スッキリして就寝。

走行距離 70キロ

天草→阿久根市

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