4287のよろっと自転車日本一周旅

よろっと旅にでようや

247日目 ついに日本海

 12月21日目、道の駅にて起床。夜中冷え込んだ空気が残る朝方に走り出す。

 10キロ程走った地点で走行中、ある車に声を掛けられる。その方々から朝食に誘われたのでホイホイ付いていった。

 案内されつつ向かった先にはTHE・喫茶店といた趣のお店が。店名は「女騎士館」。これでメキシカンと読む。

優雅にモーニングをいただきながら楽しくお話できて嬉しかった。久しぶりに人の優しさに触れ、また僕にとっても興味深い出会いだった。お昼に食べるためのサンドイッチもいただき、お腹一杯、心も一杯で再び走り出す。

 心が晴れ晴れしていると天気も段々と良くなってきた。興が乗った僕は本来行くはずだったルートを外れ、横道に入ってみた。琵琶湖が見たかったからである。

 細い道を抜けて琵琶湖のほとりに立って感動した。空には薄い雲がかかり、太陽が輝いている。その光を受けて湖面はキラキラ光り、雲と同じ色になってどこまでも続いている様に錯覚してしまう。その後しばらく琵琶湖の景色を目に焼き付けていた。

 午前中のうちに福井県に入ってしまいたかったので急いで出発。琵琶湖の景色に目を奪われすぎた。

 平坦だった琵琶湖沿いに別れを告げて福井県との県境に向かって山を登る。頂上付近には雪があって恐ろしい時期に旅をしていることを実感する。下りの時の風の冷たさが肌を刺した。

 敦賀市街に降りたら待っていた人がいた。元自転車日本一周旅人の方に敦賀でお昼をご馳走してもらった。その方にはレインウェアまで頂いた。このレインウェアが無かったら確実にこの旅の終盤はキツいものになっていた。感謝してもしきれない。今回初めて会ったが、ひたすら笑って過ごした。まるで兄貴の様な人だった。

お昼に食べたヨーロッパ軒。量が多くて満腹。というか吐きそうだった笑。

その後福井市街を目指して走っていたが、険しい日本海の地形に敗北。その一つ手前の鯖江にて宿泊。

246日目 琵琶湖

 12月20日京都市内にて起床。昨日よりも天気が良く、穏やかな日だった。

 まずは京都市内を抜けて滋賀県境を目指す。唯一見れた観光地は清水寺だった。

舞台は現在改修工事中。工事用の覆いが被されていた。

 清水寺の横を通り、ちょっとした山を越えて山科区へ。京都の都会部分はもう終わったと思っていたので驚いた。

 そこから滋賀県に入り、有名な逢坂の関を越える。はるか昔から京に入る人、出る人はこの関を越えてきた。その中には歴史上のビッグネームもちらほら。

 逢坂の関から一気に長い下り坂を降りれば目の前にまるで海のような巨大な湖が現れる。日本最大の湖、琵琶湖である。そしてそのまま琵琶湖沿いを北上する。

 見る角度によって琵琶湖は表情を変える。大津の辺りでは対岸が見えるためそれほど巨大には見えないが、北上し琵琶湖の最も膨らんでいる場所に来ると対岸は見えなくなり大海原かと見間違えるほどだった。

 雄大な琵琶湖を堪能したいところだったが折り悪く雨が降り出してきた。日も沈みかけ寒さに震えながらも必死で走る。

 完全に日が暮れて辺りは真っ暗に。目的地まであと少しだが辺りは田んぼに囲まれ電灯一つなかった。頼りになるのはヘッドライトの灯りと、隣を走るバイパスの灯りのみ。その状態のまましばらく走るが雨脚も強くなってきた。

 何も考えず、というか何も考えられない。手足の感覚はとうに無く、自分が自転車を漕いでいるというのも不確かなほどだった。ただ真っ直ぐ前の暗闇を凝視して漕いでいた。

 そして目的地の街の灯りが見えた時は心底嬉しかった。文明の光は人を安心させるものだ。気力で道の駅まで到達する。

 濡れた服から乾いた服に着替え、道を挟んで向かいにあるスーパーで買い出ししつつ暖を取る。だいぶ体温が戻ってきたので道の駅に戻ってテントを建てる。

 寝袋に包まり寒さに震えながら眠った。何度か夜中に寒さで起きるほど冷え込んだ日だった。

245日目 上洛

 12月19日、洋上のフェリーで起床。フェリーってなんであんなに楽しいんだろう。普段寝ている地面よりかは幾分か柔らかい床で寝れたためぐっすりだった。

 まだ朝日にオレンジみが残っているうちに神戸港に入港。3ヶ月前に通った道が目の前にあった。それにしても寒い。ある程度予想はしていたがこれほどの気温差があったとは。長袖長ズボン、ゴアテックスのアウターとネックウォーマーは欠かせない。つい数日前は半袖半ズボンだったのに。

 一路東へ向けて走る。3ヶ月前とは逆だ。久しぶりに走る大都会の路を淡々と走っていく。

 兵庫から大阪に入り、数時間後には京都へ。昨日まで宮崎にいて今日には京都に。秀吉もびっくりの取手返しだ。

 京都市街に入って碁盤の目のような道を走っているが、信号が多すぎる。しかも意外と道が狭い。有名な観光地は軒並みパスして今日の内に滋賀の大津まで行こうと思っていた。

 が、確かな情報筋から衝撃の知らせがもたらされる。なんと京都大丸で水曜どうでしょう展が催されているらしい。これは行くしかないと思い、大都会京都の中心部へと荷物満載自転車で乗り込む。

 大丸近くの駐輪場に自転車を止めて、はやる気持ちを抑えながら会場へ。そこには数々の伝説の品が並んでいた。

原付日本列島制覇の際のカブ。

コスタリカケツァール。隣には北欧のムンクさん。

アメリカ横断終盤の衣装。エルヴィスネクタイが微笑んでいる。

対決列島の際に安田さんが読み上げた口上。安田さんはチームびっくり人間の副将として活躍された。

簡易onちゃん。このマスクを被った安田さんは顔までだんだん黄色くなってくる。


カブでベトナム縦断した時の衣装。この旅でどうでしょうはレギュラー放送を終了した。2002年のことである。

とにかく最高だった。テンション爆上がり。

 外へ出てみればすでに真っ暗。はるか西の九州よりも日暮れが早いらしい。すでに進むような明るさではないので京都市内に宿をとる。


 

241〜244日目 決断

 12月15日、宮崎市で起床。今日は一日雨らしい。実際ネットカフェから出ると雨が降っていた。南国らしい雨で、ザァザァと降っていた。

 もう僕に残された時間は少ない。年内までにゴールする必要があったためだ。これから厳冬期の日本海側を通ることを考えると一刻も早く北上したいところだった。雪で閉じ込められる可能性も大いにある。決断を迫られていた。

 これから九州を北上、山陰地方から北陸に抜けるルートでは正直時間が足りない。多少ショートカットしても補いきれないほどだった。さらにスタイルの変化にも迫られる。僕のスタイルはゆっくり進み、気に入った場所あれば何日も留まる。せっかちな旅はできないのだ。

 ただそう簡単にショートカットは出来ないと思っていた。変なところにこだわりがある僕は日本の外周をほとんど走ってこそ日本一周だと思っていた。よく高校の時のコーチにも「ヨツは頑張りどころをよく間違う」と言われていたのを今回思い出した。
 このまま自走でゴールまで走る、しかし最後は雪に阻まれるかもしれないし年内のゴールはほぼ不可能。どこかに寄る時間も無い。ただ、本当の意味での日本一周には近くなる。
 一方ショートカットを使えば多少の余裕は出来る。どこかで大きくサボらない限り年内にゴールする事は十分可能だし、金沢の友達にも会えるし、どこかで観光する時間もあるかもしれない。しかし九州の中で大分県と山陰地方を丸ごと走り残すことになる。
 その葛藤に苛まれながら宮崎の雨をぼーっと眺めていた。

 考えはまとまらずどちらにしても急がなければならないのにこの日は結局動けなかった。まぁ雨だしね。

 たっぷり二日考えた。結論は宮崎港からのフェリーに乗船、神戸港に着岸して近畿の内陸を横断、琵琶湖の西岸を抜けて福井へ。その後日本海沿いを石川富山新潟と北上する。

 大分と山陰は走れなかったが仕方ない。この後のリベンジ用に取っておくことにする。北海道の道南も走れてないし。併せて取っておくことにした。

 この結論に至った理由はまず僕は先述したとおりせっせと真面目に走る方じゃない。必ず一日100キロ以上走らなきゃいけないのは無理だ。どこかで必ずアレルギーが出てさぼる。
 そしてもう一つ、旅に出た動機について考えてみた。僕は日本を見て回りたかった。そこにどんな人がいて、どんな生活を営んでいるのかが知りたかった。その目的は概ね達せられたと思っている。もちろん大分も山陰も見てみたい。今回走らなかった県もまだまだある。しかし別に今でなくてはいいんじゃないか。これから先来ればいいんじゃないか。とも思った。明日がどうなるか分からないが必ず訪れると決めていれば何があっても訪れる機会はある。というか作る。

 そう思ったら結論は出た。フェリーに乗ろう。

 友達には「日本一周じゃないじゃん!!」って言われるかもしれないけどそれも美味しいなぁ、うまい返しを考えておかないと。

 というわけで12月18日、宮崎港からフェリーに乗り込み神戸港へ向かって出発した。約12時間の船旅だ。

240日目 宮崎in

 12月14日、今日も天気が良い。半袖でも過ごせるくらいだ。今日は今いる串間市から山を越えて日向灘へ。そして日向灘沿いに宮崎市まで北上する予定だ。

 野生の馬が住むという都井岬も行きたかったが色々なところでサボっていたので飛ばした。あと中々しんどそうだったというのもある、、、。

 朝イチの元気で山を越え、日南市へ。

 日南市から海沿いの国道220号線で北上していく。

日向灘は青く、気持ちいい道だった。

 まず立ち寄ったのは鵜戸神宮。古代以来聖地として扱われきた歴史ある神社である。普通神社は本殿に向かうにつれて上るものだが、ここは全国的に珍しい「下り宮」、波打ち際の岩窟まで参道が降っている。

 全国的に割と神社は回っている方だがやはり珍しい。観光客も多かったが、岩窟の中を参拝するという貴重な経験だった。ちなみに広島東洋カープが春季キャンプの際に必勝祈願を行う神社でもある。

 そして本殿の目の前には神聖そうに祀られている奇岩があった。

いや、、これは、、、うーん、、、まぁ、、神聖なものだからね、、、俺は何も言えないけど、、アレだよね、、、。

 自らの心の汚れを自覚しながら鵜戸神宮を後にした。次に向かったのは日本で唯一モアイ像がいるサンメッセ日南だ。渋谷にいるのは「モヤイ」。「モアイ」では無い。(イースター島公認らしい)

 しかし、目の前に来て問題発生。サンメッセ日南に入ってモアイを眺めるには800円という高額な入場料も払わなければならない。モアイを見るためだけに800円、、、。精神の葛藤と闘った結果理性が勝ち、泣く泣くサンメッセ日南を後にした。


さようならモアイ!また来るよ!

 
 再び北上を続け、宮崎市のすぐそばまで来た。ここから国道を外れて謎の道を走る。しかしこの道がよかった。ずっと鬼の洗濯岩と呼ばれる奇岩を眺めつつ、車に悩まされることもなく走れた。途中謎の鉄塔が見えたがあれは何だろう。

 宮崎市には入り、次に訪れたのは青島。ビールが名産でも、湾岸署の刑事で、所轄のくせにエリートの室井さんに突っかかる刑事でも無い。ただ、それがかっこいいんだよな、青島俊作は。なんでもこの島は北半球最大の亜熱帯植物群落で、国の特別天然記念物に指定されている。

 島の中には青島神社があり、この神社は明治時代以前は特別な日以外一般人の立ち入りは禁じられていた聖地である。しかし今では年間を通して立ち入れるようになり、しかも縁結びの神社として一大観光地になっていた。僕が行った時もカップルが多く、場違いな雰囲気を感じたものだ。



 その後は宮崎市街地に入り本日の宿であるネットカフェへ。宮崎の街はやはり田舎で、夜に着いたということもあり真っ暗に見えた。

 今日一日は盛り沢山だった。1日で宮崎が好きになった日だった。

239日目 珍地名

 12月13日、根占の公園にて起床。今日は風もそこまで強くないのでいい感じで進めそうだ。

 早速海沿いを走る。天気も良く、起伏も朝の準備体操には丁度いいくらいで気分良く漕ぐ。

 15キロぐらい漕いだらコンビニがあったので朝ごはんを買った。いつもだったら自転車の横で食べるのだが、目の前に気になるものがあった。

 「神川ビーチ 絵の祭典」


モノマネレパートリーの一つ、目玉のオヤジ

 ビーチに有名アニメキャラクラターのシルエット像が大量に並んでいた。それを見ているうちに小ネタが浮かんできた。思いついたのはアテレコを当てること。すなわちモノマネである。一人で試行錯誤しているうちに満足いくものが撮れたのでインスタにアップした。そうしたら反響がなかなかあったのと同時に、ついに気が狂ったと心配してくれる人もいた。インスタやってなくて見てない人いたら言ってください。送りつけます。

 小ネタに朝の重要な時間を結構割いてしまった。ここから先は真面目に漕ぐ。

 錦江湾を北上し、途中から内陸に入って大隅半島を横断する。大隅半島の内陸部は田畑が広がる平野だった。農道や未舗装の道に迷い込みながらも無事横断完了。

 抜けた先にある、道の駅で小休止。温泉も併設されていて野宿しやすそうだなぁと思っていたら、がっつり野宿禁止の張り紙を発見。ただすぐ隣が公園ぽかったのでそっちならあるいは、、。

巨大銀カブトムシ。

 今日は誘惑を振り払って先へ進む。隣の街はかの有名な志布志市。ここには大体の旅人が立ち寄る珍しい市役所があるのだ。そう、それが志布志市志布志志布志志布志市役所志布志支所である。

見てるだけで頭痛くなってきそうだ。一方で真面目な由来も併記されているのでそれも面白い。

 大隅半島を抜けても海沿いの風光明媚な道を通る。違うのは海の名前が錦江湾から志布志湾へ、そして日向灘へと変わるのみである。

 その後長い事お世話になった鹿児島県を抜けて宮崎県へ。本日のお宿は街灯一つ無い真っ暗闇な河川敷で野宿。

238日目 意志の陥落

 12月12日、朝から風が強い日だった。二日間も佐多岬に滞在したので今日こそは脱出したいと思っていた。

 来た道が辛い道だったということは帰りもキツい。行きもしんどい、帰りもしんどい。うまくいかないもんだなぁ。

 ただでさえ急峻な地形にプラスして向かい風が襲い掛かる。風でハンドルが煽られる始末だ。

 それでも天気は良かった。南国気分が上がる。


 旅人にはお馴染みの宗谷岬への標識。直線距離だとだいぶ近い、、、?

 なんとか佐多岬前のAコープまで行って小休止、その後は今までに比べればだいぶマシな海沿いの道を走る。特に開聞岳が見えてきた辺りからは風の強さも忘れるくらい、素晴らしい眺めだった。思わずニヤニヤしてしまうくらい、側から見たら変な人の出来上がり。

 その後は薩摩藩が作った砲台跡を見て、根占に到着。久々の街だ。

 先に進むか迷ったが、あまりにも野宿適地の公園、そして目の前に温泉というこれ以上望むことのできないロケーションに僕のゆるゆるな意志は陥落し、まだ日があるうちから露天風呂に浸かるという罪な行為に走ってしまった。はぁー極楽、極楽。